狭山差別事件現地調査を実施

事件から53年、第3次再審請求実現に向けて

 6月26日(日)、狭山差別事件の原点を振り返り再審請求を実現するため、東京清掃労組は今回で20回目となる現地調査を石川さん夫妻を含めて31名の参加で取り組みました。
 狭山差別事件は、1963年に起きた女子高校生の殺害事件です。警察は、身代金の受け渡し場所に現れた犯人を取り逃がすという大失態を犯しました。世論に追い詰められた警察は、当時の住民の差別意識に乗じて市内の被差別部落に捜査を集中し、石川一雄さんを別件で逮捕し、脅迫や偽計、誘導によって嘘の自白に追い込んだのです。わずか半年の裁判で死刑判決が言い渡されましたが、警察にだまされていたことに気づいた石川さんは、2審第1回公判から無実を訴え続けています。弁護団の努力で石川さんの無実を証明する数多くの証拠が出されましたが、1974年東京高裁で無期懲役判決、1977年最高裁は上告を棄却し無期懲役判決が確定。石川さんは千葉刑務所に下獄しました。
 石川さんは、1977年に再審を請求し獄中から無実を訴え続け、1994年に仮出獄しましたが、殺人犯の汚名が晴れたわけではありません。事件発生から53年、いまだに「見えない手錠」をはめられている石川さんの冤罪を訴え、再審を求める闘いが狭山差別事件です。

 この日の現地調査の目的は、石川さん夫妻との交流と同時に、石川さんの事件当時の自白がいかに矛盾だらけの自白だったのか、それが警察からの脅迫や誘導による嘘の自白だったことを現地調査で明らかにすることにあります。
 午前中は狭山差別事件について学び、石川さんご本人からは、当時の警察の取調べがいかに過酷だったか、狡猾な偽計、誘導によっていかにして嘘の自白に追い込まれたか説明がありました。
 「“証拠開示”と“事実調べ”が重要になります。」「公平、公正な裁判をするためにもっと残りの証拠を開示してほしい。」「国連からも『事件の証拠は警察の財産ではなく国民のもの』と言われているが、裁判所がそれを許している。」「裁判所の姿勢を変えるには皆さんの力が必要。是非力を貸して欲しい。」と無念の思いを何としても晴らしたいという力強い訴えがありました。
 また、お連れ合いの早智子さんからも「参議員選挙が始まったが石川には投票券が来ない。法的には、いまだに犯罪者だから・・・」「こういう時に『見えない手錠』を見ることになる。悔しいし、切ない。」「亡くなった被害者のためにも、石川本人のためにも早く解決しなければならない。多くの人が苦しんでいる」と訴えられました。

 午後からは、部落解放同盟東京都連(松島副委員長、堀共闘部長)のお二人から現地を詳しく案内いただき、警察の過酷な取調べで追い込まれた末の自白が、いかに矛盾だらけなのか現地を調査することで明らかにしました。
 自白による時間の経過は、被害者の下校時刻とまったく合いません。自白では、女子高校生の被害者が700mも離れた雑木林まで黙ってついて行ったことになっていますが、農作業をしていた付近の人たちは誰も二人を見ていません。さらに、殺害が行われたことになっている雑木林の近くで農作業をしていたOさんは、悲鳴も聞いていませんし、人影も見ていません。自白では、被害者は「キャー」「助けて」と大声で叫んだことになっているのです。
 他にも数え上げればきりがない程、自白が嘘と矛盾に満ちていることが現地調査で明らかになりました。

 現在、狭山差別事件は、第3次再審闘争の重要な局面を迎えています。再審開始を勝ち取るため、これまで弁護団は、多数の新証拠を提出してきました。これら弁護団提出の新証拠について、東京高裁第4刑事部が、寺尾判決以降40年間1度も行われていない鑑定人尋問をはじめとした事実調べを行うかどうかが大きなカギとなっています。
 半世紀以上に及ぶ冤罪を生み出した背景には、日本の刑事司法の人権を無視したあり方と部落差別があります。裁判の再審を勝ち取り、石川さんの無実を晴らすため、さらに取り組みを強化しましょう。